大切な人の死は悲しむべきものだろうか?


シルバーバーチの霊訓 第8巻 P63 より


命日は記念すべきか?

招待客が友人からの質問として、「悲しい命日は心の傷みを呼び覚ますだけだから、愚かで無意味だという考えはいかがでしょうか?」と述べ、それに自分の考えとしてこう付け加えた。 ― 今さらどうしようもないことはわかっているのに、年に一回、心の傷みを思い出すのは間違いだと思います。

(シルバーバーチ)その質問者のいう "悲しい命日" というのは何のことでしょうか?

― 故人が亡くなった日です。
その日に何もしたがらない人がいます。 改めて悲しい思いをしたくないのだと思います。

誰にとって悲しいのでしょうか?

― その人を失った家族です。 亡くなった本人ではありません。 私はあなたのお考えに同感です。 亡くなった人を悲しむのは、一種の利己主義だと思います。

一種の自己憐憫の情です。
自分自身への哀れみであり、愛する者を失ったことを嘆いているのです。
苦の世界から解放された人のために涙を流すべきではありません。
もちろん地上生活が利己的過ぎたために、死後もあい変わらず物質界につながれている人(地縛霊)がいますが、それは少数派に属します。

大部分の人にとって、死は牢からの解放です。
新しく発見した自由の中で、潜在する霊的資質を発揮する手段を見出します。
無知の暗闇でなく、知識の陽光の中で生きることが出来るようになるのです。

過ぎ去った日々の中に悲しい命日をもうけて故人を思い出すとおっしゃいますが、いったい何のために思い出すのでしょう。
そんなことをして、その霊にとってどんな良いことがあるというのでしょうか。
何一つありません!

過ぎ去ったことをくどくど思い起こすのは良くありません。
それよりも、一日一日を、一度きりのものとして大切に生き、毎朝を霊的に成長する好機の到来を告げるものとして、希望に胸を膨らませて迎えることです。
それが叡智の道です。

【訳者注(近藤千雄氏)】
"シルバーバーチは語る"と題されたカセットテープの中で司会者が「ルドルフシュタイナーの一派では、死者に向かってリーディング(仏教でいう読経であり、読心術ではない)をするのですが、何らかの効果があるのでしょうか?」と質問したのに対して、 シルバーバーチは
「害もありませんが、さして薬になるとも思いません。こちらはこちらで救済の施設がたくさん用意されています」  と述べている。

たしかに、たとえば『ベールの彼方の生活』を読むと、高級霊団が地上各地から地縛霊を大勢救出して戻ってくる一行を描写しているところがある。
国籍が入り混じっているので服装も様々で、救出された者どうしがキョロキョロと互いの衣服を未くらべて不思議そうな顔をする、ユーモアあふれる場面もある。
そのほか、慰安や看護のための施設も何度か出てくる。

その観点からいうとシルバーバーチのいうとおりなのであるが、私は日本人特有の問題として、供養とか戒名とか院号とかにまつわる日本的なしきたりに余りにこだわった地上生活を送った人の中には、向こうへ行ってから自分もそうしてもらわないと気が済まない ― いわゆる "成仏できない" 霊がいて、霊界の指導者を手こずらせることが多いことは、事実として認めざるを得ないように思う。

この種の地縛霊は、日本では決して少数派とはいえない。
そういう霊はいわば "わからず屋" なのであるから、そのわがままをある程度は聞いてやる必要があるので、それは地上の人間の協力を要する問題となってくる。

ただ、シルバーバーチはつねに『永遠の時』を念頭において説いていることを、忘れてはならない。
人間が余計な心配をしなくても、『いつかは』霊界の方でなんとかします、という意味に解釈すべきであろう。


(省略)

なぜあなたは死をそんなに災いのようにお考えになるのでしょうか。
赤ん坊が生まれると地上ではめでたいことをして喜びますが、私たちの方では、泣いて別れを惜しむこともしばしばなのです。

地上を去ってこちらの世界へ来る人を、私たちは喜んで迎えます。
が、あなたがたは泣いて悲しみます。
死は大部分の人にとって悲劇ではありません。
しばらく調整の期間が必要な場合がありますが、ともかくも死は解放をもたらします。
死は地上生活が霊に課していた束縛の終わりを意味します。

あなたがたはどうしても地上的時間の感覚で物ごとを見つめてしまいます。
それはやむを得ないこととして私も理解はします。
しかし、あなた方も無限に生き続けるのです。
たとえ地上で60歳、70歳、もしかして100歳まで生きたとしても、無限の時の中での100年など、一瞬の間にすぎません。

大自然の摂理の働きに偶然の出来事というものはありません。
あなたは霊のために定められた時期に地上を去ります。
しかも多くの場合その時期は、地上に誕生する前に霊みずから選択しているのです

【訳者注】
霊としての意識と、肉体に宿ってからの脳を焦点としての意識とは別である。
地上での時間と場所の感覚は脳を焦点とした地上独特のもので、そこから人間的煩悩が生まれる。
悟りの程度というのは、その地上的感覚による束縛から脱する程度と等しいということであろう

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