霊訓(下) by W・S・モーゼス  第29節より



スピリチュアリズム普及会刊 霊訓(下) by W・S・モーゼス P152よりお借りしました


【地上にいる邪霊が人間に何をしているか?】


(1874年3月15日。この頃までに他人の名を詐称する霊が出没しているから注意せよとの警告がしきりに出され、その特殊なケースが実際に他のサークルで起きたことで一段としつこくなっていた。
その問題に関連して数多くの通信が送られて来たが、その中で唯一普遍的な内容のものを紹介する)


このところわれら (インペレーター霊をリーダーとする霊団―ケイ注) の要請がしつこくなっているが、それは人間を騙さんとして他人の名を詐称する霊にはめられる危険性について、これまでも再三警告してきたことを改めて繰り返す必要を痛感しているからである。

そうした連中も“未熟霊”の中に入る。
その種の霊による面倒や困惑の危険性がそなたの身辺に迫っており、その餌食とならぬようにと、最近特に注意を促したばかりであろう。

いかにもわれらに協力せんとしているかに見せかける霊が存在することをわれらは確かめている。
その目的とするところはわれらの仕事に邪魔を入れ進行を遅らせることにある。

この点については十分に説明しておく必要がある。
すでに聞き及んでいようが、今そなたを中心として進行中の新たな啓示の仕事と、それを阻止せんとする一味との間に熾烈なる反目がある。
われらの霊団と邪霊集団との反目であり、言い換えれば人類の発達と啓発のための仕事と、それを遅らせ挫折させんとする働きとの闘いである。

それはいつの時代にもある善と悪、進歩派と逆行派との争いである。
逆行派の軍団には悪意と邪心と悪知恵と欺瞞に満ちた霊が結集する。
未熟なる霊の抱く憎しみによりて煽られる者もいれば、真の悪意というよりは、悪ふざけ程度の気持ちから加担する者もいる。
要するに、程度を異にする未熟な霊が全てこれに含まれる。
闇の世界より光明の世界へと導かんとする、われらを始めとする他の多くの霊団の仕事に対し、ありとあらゆる理由からこれを阻止せんとする連中である。

そなたにそうした存在が信じられず、地上への影響の甚大さが理解できぬのは、どうやらその現状がそなたの肉眼に映らぬからであるようである。
となれば、そなたの霊眼が開くまではその大きさ、その実在ぶりを如実に理解することは出来ぬであろう。

その集団に集まるのは必然的に地縛霊、未発達霊の類である。
彼らにとりて地上生活は何の利益ももたらさず、その意念の赴くところは彼らにとりては愉しみの宝庫とも言うべき地上でしかなく、霊界の霊的喜びには何の反応も示さぬ。

かつて地上で通い慣れた悪徳の巣窟をうろつきまわり、同質の地上の人間に憑依し、哀れなる汚らわしき地上生活に浸ることによりて、淫乱と情欲の満足を間接的に得んとする。

肉欲の中に生き、肉欲のためにのみ生き、今その肉体を失える後も、肉欲のみは失うことの出来ぬこの哀れなる霊は、地上に感応しやすき同類
(人間 ― ケイ注) を求め、深みに追いやることをもって生きる拠り所とする。
それをおいて他に愉しみを見出し得ぬからである。

地上では肉体はすでに病に蝕まれ、精神はアルコールによりて麻痺されていた。
それが、かつての通い慣れた悪徳の巣窟をさ迷い歩き、取り憑きやすき呑んだくれを見つけてはけしかける。
けしかけられた男らは一段と深みにはまる。
それが罪もなき妻や子の悲劇を広げ、知識と教養の中心たるベき都会の片隅に不名誉と恥辱の巣窟を生む。
そうすることに彼らは痛快を覚え、満足の笑みをもらすのである。

こうした現実がそなたらの身のまわりに実在する。
それにそなたらは一向に気づかぬ。

かくの如き悪疫の巣がある――あるどころか、ますます繁栄しのさばる一方でありながら、それを批難する叫び声は一体地上のいずこより聞こえるであろうか?
何故どこからも批難の声が上がらぬのであろうか?
何故か?

それも邪霊の働きに他ならぬ。
その陰湿なる影響によりて人間の目が曇らされ、真理の声が麻痺されているからに他ならぬ。
その悪疫は歓楽街のみに留まらぬ。
そこを中心として周囲一円に影響を及ぼし、かくして悪徳が絶えることがないのである。

かつての呑んだくれは――人間の目には死んだと思えようが――相も変わらず呑んだくれであり、その影響もまた、相も変わらず地上の同類の人間の魂を蝕み続けているのである。

一方人間の無知の産物である 死刑の手段 によりて肉体より切り離された殺人者の霊は、憤怒に燃えたまま地上をうろつきまわり、決しておとなしく引っ込んではおらぬ。

毒々しき激情をたぎらせ、不当な扱いに対する憎しみ――その罪は往々にして文明社会の副産物に過ぎず、彼らはその哀れなる犠牲者なのである――を抱き、その不当行為への仕返しに出る。
地上の人間の激情と生命の破壊行為を煽る。
次々と罪悪を唆(そそのか)し、己が犠牲となりしその環境の永続を図る。


人間は一体いつになれば毎日の如く、否、時々刻々と処罰している罪悪が実は混雑せる都会生活の産み出す必然の副産物に過ぎぬことを悟るのか?
根本の腐敗の根源をそのままにして、何故に醜き枝葉のみを切り落とすのか?
協同責任において生み出せる哀れむべき仲間を何故に無慈悲に処分するのか?


そなたらは実は利己主義者なのである。
その利己主義者が何故に憎悪に燃える霊を敵にまわす行為をしでかすのか?
ああ、友よ、そなたらの旧時代的刑法が誤れる認識の上に成り立っており、犯罪防止よりむしろ悪用を生んでいることに気づくまでには、そなたら人間はまだまだ幾多の苦難を体験せねばならぬであろう。

かくの如く、地上の誤りの犠牲となって他界し、やがて地上に舞い戻るこうした邪霊は当然のことながら進歩と純潔と平和の敵である。
われらの敵であり、われらの仕事への攻撃の煽動者となる。

至極当然の成り行きであろう?
久しく放蕩と堕落の地上生活に浸れる霊が、一気に聖にして善なる霊に変り得るであろうか?
肉欲の塊りが至純なる霊に、獣の如き人間が進歩を求める真面目な人間に、そうやすやすと変われるものであろうか?
それがありえぬことくらい、そなたにも判るであろう。

彼らは人間の進歩を妨げ、真理の普及を阻止せんとする狙いにおいて、他の邪霊の大軍と共に、まさに地上人類とわれらの敵である。
真理の普及がしつこき抵抗にあうのは彼らの存在の所為であり、そなたにそうした悪への影響力の全貌の認識は無理としても、そうした勢力の存在を無視し、彼らの攻撃にスキを見せることがあってはならぬ。

この警告はいくら強調しても強調しすぎることはない。
その働きが常に潜行的であり、想像を超えた範囲に行きわたっているだけに、なおのこと危険なのである。

地上の罪悪と悲劇の多くはそうした邪霊が同種の人間に働きかけた結果に他ならぬ。

地上の名誉を傷つけ、体面をはずかしめるところの文明と教養の汚点とも言うべき戦争と、それに伴う数々の恐怖もまた、彼らの仕業である。
大都会を汚し、腐敗させ、不正と恥辱の巷(ちまた)と化す犯罪を醸成するのも彼らなのである。



(省略)


地上の大都会はまさに悪徳と残忍と利己主義と無慈悲と悲劇のるつぼである!

魂は真理に飢え途方に暮れている。
霊的影響力を受けつけぬ雰囲気の中で暮らす彼らは、より清く、より平静なる雰囲気を求めて悶え苦しむ。
が、その悶えも、取り囲む闇の帳(とばり)を突き抜けることが出来ぬ。

必死の向上心も繰り返される悪の誘いに打ち砕かれる。
せっかくの決意も、邪霊に奪われる。
かくして彼らは次第にそうした邪霊の働きかけへの抵抗力を失う。
その段階まで至れば、自暴自棄の念を吹き込むのはいとも簡単である。
それが悪徳を大きく助長し、救いへの正道がほぼ完全に閉ざされる。

では、そうした不純と淫乱と懊悩の巷――実はすぐ目と鼻の先のそなたらの同胞の住める都会であり、そこでは金さえあれば少なくとも身体的労苦からは逃れられるが
――そうしたちまたより霊界入りする人間は、その後いかなる経過を辿るであろうか?

彼らの住める環境は、見た目には霊と肉を堕落させる恥ずべき環境とは思えぬ。
が、そこに漂う霊的雰囲気は俗悪臭に満ち溢れている。

金儲けのみが人生であり、愉しみと言えば飲食と酒色である。
雰囲気は金銭欲と権力欲、その他ありとあらゆる形の利己心である。
そうした環境にて暮らせる人間の魂が、死後、いかなる状態に置かれるか――そなたは一度でも想像してみたことがあるであろうか。

魂の糧となるべきものを知らず、成長もなく、携わるベき仕事も持たぬ。
発育は歪(いびつ)となり、落着くところは古巣の地上でしかなく、金と欲のちまたに舞い戻ったところを、待ち受けていた邪霊につかまり、そそのかされ、欲望を一層掻き立てられ、われら(助けようとする高級霊たち ケイ注)には近づきがたき存在となる。

そうなるが最後、悪徳の巣窟である歓楽街の酒色に溺れる霊と同じく、われらは手を施す術(すべ)を知らぬ。

辺りはむせ返る雑踏――そこでは金のみが物を言い、利己心と貪欲と盗みが横行する。
そこは邪霊集団の行動の中心地であり、そこより毒々しき影響力が発散されていく。

が、人間はそれに一向に気づかぬ。
諸悪の根源に無知であり、その諸悪に恰好の場を提供している点において愚か極まる。
悪の環境を永続させるのはその愚かさに他ならぬ。
そして地上に生命が誕生し発達し霊性を開発していく、その本来の原理・原則を理解せしめんとするわれらの努力を一層困難なものにする。

これまでにも結婚生活のもつ重大なる意義について理解せる高邁なる改革者が幾人かいた。
われらもそなたに理解し得る範囲での見解を述べてきた。
世の中がさらに進歩した時点において説くべきものが、まだまだ数多く残っている。
が、今はその時期ではない。


(省略)


以上、かつて言及しておいた、われらに敵対する邪霊集団について、その幾つかを明らかにしてみた。

彼らは勢力を結集してわれらの仕事を挫折させ、悩ませ、傷つけんとすきをうかがっている。
しかも人間の無知ゆえに、堕落していく霊によりて時々刻々、その勢力を拡充していきつつある。

これまでわれらはもう一方の集団、すなわち人類のため、人類の発展のために力のかぎりに努力している霊の集団については述べずにおいた。
人類を救済し、未来に希望をもたせる犠牲と献身の行為、素朴にして気高き生きざま、心豊かな行為については敢えて述べずにおいた。
それは、われらの目下の仕事がその反対の暗黒面を描いてみせることにあるからである。
出来るだけその方向へそなたの注意を仕向けてきた。

言っておくが、われらはその内面の姿を有るがままに描いているのである。
われらの通信の底流をなす深刻なる真理、すなわち善と悪との対立、その悪の勢力を助長する人間の過ちは、われらがになえる仕事の今後の進展に大きく係わる重大な事実だからである。

今しがた述べたことも、われらに敵対する組織的集団についてかつて述べたことを繰り返し述べたに過ぎぬ。
が、これ以後ますます繁くなるであろうことが予想される特殊な敵対手段については、述べることを控えておいた。
それは客観的心霊現象が頻繁となり、それを求める欲求が募るにつれて、邪霊集団が意図的に手の込んだ策を弄し、肝心の霊的真理に対する不信感をあおるたくらみのために、多くの霊媒が利用される可能性が大きくなるということである。

これは特殊な敵対手段であり、最も大なる危険性を秘めている。
と言うのは、程度の低き霊ほど物的なものへの働きかけが強力であり、巧妙であり、時として憎悪に満ちている。

彼らは、目を見張る心霊現象を起こす霊媒を養成し、超自然力に興味をもつ者を得心させようと強力に働きかけている。

いったん得心させれば、あとは容易である。
トリックとペテンを弄し、同時に真面目な道徳的説教も交えつつ、徐々に疑念を誘い、初め霊の存在に向けられた不信感と猜疑心とが次第に心霊現象そのものと道徳的教訓にまで広がっていく。

心霊現象は単に人間の目を見張らせ、面白がらせるためのものではない。
肝心の目的は霊的教訓にある。


それに対する不信感を煽る手段としてこれに勝る巧妙なるものはない。
人間は最後にこう言い始める――われわれは色々とやってみた。自らも実験してみた。そして真相が判った。結局はペテンか愚劣にして不道徳きわまる教説を説くか、あるいは間違いだらけか、要するに悪魔の仕業である、と。

そう考え始めた連中に、正と邪を見分けるようにと説いても最早や無駄である。
揺らぎ始めた信頼がそれを許さぬ。
初め信じてかかったものがニセであることが証明されたわけであり、信頼の殿堂は瓦礫となって辺りに散乱する。
基礎が十分でなく、建造物を支えることが出来なかったということである。

繰り返し述べるが、これほどわれらの仕事を麻痺させる悪魔的策謀はない。

われらは厳粛なる気持ちをもって警告するものである。
必ずわれらの警告に従って行動して貰いたい。

次から次へと無闇に派手な現象を演出してみせてくれる時は用心するがよい。
そうしたものは大体において低級にして未発達なる霊の仕業である。
その演出には往々にして招かれざる客が携わっている。
驚異的現象も余り度を越すと、ことに結成したばかりのサークル
(交霊会―ケイ注)においては大いに危険がある。

心霊実験も必要である。
われらは決してある種の人間にとりての効用を過小評価する者ではない。
求むる者全てに納得のいく証拠を提供してあげたいとは思う。
が、そうした物理的現象のみの興味、魂の成長に殆ど役に立たぬうわべの興味にのみ終始して貰っては困る。

そうした現象にしか興味を抱かぬ者の目には、われらの為すことが時として人間のすることよりお粗未に映ることすらあろう。
が、現象そのものを目標としているのではない。
目標は一段高き次元にある。
また、この世のものとは別の存在がこの世の法則に干渉できることを証明して満足しているわけでもない。
もしもそれが全てであるとするならば、そうした事実を知ることは害にこそなれ、益にはならぬであろう。

われらは唯一絶対の至上命令を下されている。
その使命達成のために地上に戻ってきた。
それ以外に用はない。
その使命はそなたにも判っていよう?
信仰心が冷却し、神の存在と霊魂不滅への信仰が衰えかけた時、われらは人間が神の火花を宿すが故に永遠不滅であることを証しにくる。
古き時代の信仰の誤りを指摘し、向上進化をもたらす人生を説き、発達と向上の未来永劫ヘと目を向けさせる。


(省略)


心霊現象はあくまでも確信を得させるための手段に過ぎぬものと心得よ。
その一つ一つを霊の世界より物質の世界ヘの働きかけの証と受けとめよ。
それだけのものに過ぎぬと理解し、それを霊的神殿を建立するための基礎として活用せよ。


(省略)


こちらにはそうした悪戯を愉しみとする低級霊がおり、ある条件下において実に手の込んだ詐術を弄(ろう)する才能を持っているということである。
人間が望んでいるとみた人物の名を騙り、いかなる人物でも実にうまく真似て応対する。

こうした霊は交霊会が用心を怠らず、霊側で守護の任に当たる者が鋭くにらみを利かせれば、大抵は締め出すことが出来る。
むやみに交霊会を催し、新参者を不用意に参加させ、霊的条件への配慮を怠り、それが為に霊側の厳戒態勢が整わぬようでは、彼らの侵入を許す危険が大である。

われらの知るかぎりでは、大半の交霊会ではその種の悪戯(いたずら)霊の侵入を許していると見てよかろう。
単なる好奇心から現象を求める。
霊界の知人・友人を次々と呼び寄せる。
それが本当に当人なのか「かたり」なのかを見分ける用心を怠る。
あれこれと愚にもつかぬ質問をし、その返事を大まじめで聞いて鵜呑みにする。
これでは低級霊がそれを愉しみとして何の不思議があろう。



(省略)


何事にせよ、乱用は感心せぬ。
正用は結構であり、それを常に心がけるべきである。

軽薄なる心でもって霊界と係わりをもつ者、単なる好奇心の対象に過ぎぬものに低俗なる動機からのめり込む者、見栄っ張りの自惚れ屋、軽率者、不実者、欲深者、好色家、卑怯者、おしゃべり ―― この種の者にとりては危険が実に大である。

われらとしては、性格的に円満を欠く者が心霊的なものに係わることは勧められぬ。

賢明にして強力なる背後霊に守られ、その指示によりて行動する者のみがこの道に携わるべきであり、それも細心の注意と誠心からの祈りの念を持って臨むべきである。
不用意な係わり合いは断じて許せぬ。
また、円満な精神と平静な感情の持ち主にあらざれば、とても霊界との安全なる係わり合いは不可能であり、己の地上生活にわざわいの種子を持ち込むのみである。

節度なき精神、興奮しやすき感情、衝動的かつ無軌道な性格の持ち主は低級霊にとりて恰好の餌食となる。
その種の人間が霊的なことに係わることは危険である。


特にその求むるところが単なる驚異的現象、好奇心の満足、あるいは虚栄心の慰めに過ぎぬ場合はなおのことである。
その種の人間には神の訓えは耳に届かぬ。
願わくば聞く耳を持つ者が低級霊の干渉を首尾よく切り抜け、低級界を後にして高級界のより聖純なる大気の中へと進んでくれることを望むこと切なるものがある。

邪霊集団の暗躍と案じられる危険性についてはすでに述べたが、それとは別に、悪意からではないが、やはりわれらにとりて面倒を及ぼす存在がある。

元来、地上を後にした人間の多くは格別に進歩性もなければ、さりとて格別に未熟とも言えぬ。
肉体より離れて行く人間の大半は霊性において特に悪でもなければ善でもない。
そして、地上に近き界層を一気に突き抜けて行くほど進化せる霊は、特別の使命でもないかぎり、地上へは戻って来ぬものである。
地縛霊の存在についてはすでに述べた通りである。


(省略)


言い残せるものにもう一種類の霊団がある。
それは悪ふざけ、茶目っ気、あるいは人間を煙(けむ)に巻いて面白がる程度の動機から交霊会に出没し、見せかけの現象を演出し、名をかたり、意図的に間違った情報を伝える。

邪霊というほどのものではないが、良識に欠ける霊たちであり、霊媒と列席者を煙に巻いていかにも勿体ぶった雰囲気にて通信を送り、いい加減な内容の話を持ち出し、友人の名を騙り、列席者の知りたがっていることを読み取っては面白がっているに過ぎぬ。
交霊会での通信に、往々にして愚にもつかぬものがあるとそなたに言わしめる要因がそこにある。

茶目っ気や悪戯半分の気持からいかにも真面目くさった演出をしては、それを信ずる人間の気持を弄(もてあそ)ぶ霊の仕業がその原因となっている。

列席者が望む肉親を装っていかにもそれらしく応対するのも彼らである。
誰にでも出席できる交霊会において身元の正しい証明が不可能となるのも、彼らの存在の所為である。
最近、「誰それの霊が出た」との話題がしきりと聞かれるが、そのほとんどは彼らの仕業である。
通信にふざけた内容、あるいは、ばかばかしい内容を吹き込むのも彼らである。

彼らは真の道徳的意識は持ち合わせぬ。
求められれば、いつでも如何なることでも、ふざけ半分いたずら半分にやってみせる。
その時々の面白さ以上のものは何も求めぬ。
人間を傷つける意図はもたぬ。
ただ面白がるのみである。

人の道を誤らせ、邪(よこしま)な欲望や想念を抱かせるのも彼らである。
霊媒を密かに操り、高尚な目的を阻止せんとする。
高尚にして高貴な目的が彼らには我慢ならず、俗悪なる目的を示唆する。
要するにその障害物、妨害とならんとする。

係わるのは主として物理的現象である。
通例その種の現象が得意であり、列席者を迷わせる魂胆をもって、混乱をひき起こさせる現象を演出する。
数々の奇策を弄して霊媒を騙し、それによりてひき起こされる当惑の様子を見てほくそえむ。

憑依現象を始めとする数々の心霊的障害は往々にして彼らの仕業に起因する。
いったん付け入ればいかようにでも心理操作が出来るのである。

個人的に霊を呼び出して慰安を求める者たちを愚弄するのも彼らである。
いかにもそれらしく応対し、嬉しがらせるような言葉を述べてあざむく。


間違いなく本人が出て、しっかりとした意志の疎通が行なわれることはある。
が、次の会では巧みに本人を出し抜いて悪戯霊が出現し、名を騙り、それらしく応対しながら、その中に辻褄の合わぬ話を織り混ぜたり、全くの作り話を語ったりする。

そなたもそうした霊に付け入られぬためにも、一身上の話題はなるべく避けるが賢明である。


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