「シルバーバーチの霊訓 第5巻」からは一部をそのままお借りし、そして「モーゼスの霊訓(上)―近藤千雄訳」からは要点をまとめて書き替えています。 シルバーバーチについて ウィキペディア W・S・モーゼスについて ウィキペディア 【お借りしている本】 シルバーバーチの霊訓〈5〉 【参考本】 スピリチュアリズム普及会刊 霊訓(上) by W・S・モーゼス 【人間の霊性の進化は野獣性から始まった】 シルバーバーチの霊訓 第5巻 P89 長い進化の道程のどこかの時点で、神が、というよりは法則の働きによって動物の魂に自我意識が芽生え、やがて理性が芽生え、知性が発達してきました。 その段階で、人間は判断力というものを身につけたわけです。 すなわち物事を意識的に考え、決断する能力です。 しかし実はそうした能力は全部はじめから潜在していたのです。 どんなに遠く遡っても、魂の奥に何らかの形で潜在していたのです。 それが目覚めるには神の息吹が必要でした。 さて、そうして神が動物に霊性の息吹を吹き込んだように、あなたがた人間も動物に対して同じことができるのです。 人間は神の一部です。 従って進化の順序の中で人間の次に位置する動物に対して、その霊性の息吹を吹き込む能力をそなえています。 つまり動物との接触の中で、愛という霊的な力によって、動物の魂に自我意識を芽生えさせることができるのです。 それがその後の長い進化の道程を経て、やがて人間という頂点に達するわけです。 P83 人間界への誕生には二種類あります。 古い霊が再び地上へ戻ってくる場合と、"新しい霊"が物質界で個体としての最初の段階を迎える場合です。 双方とも自我意識をもった霊であり、個性をもった霊的存在です。 ただ、一方がベテランの霊で、進化の完成のためにどうしても物質界で体験しなければいけないことが生じて、再び地上へやってくるのに対し、他方は、やっと人間の段階にまで達した新入生です。 直前まで動物だった類魂(グループソウル ― 管理人注)が、人間界への仲間入りをしたのです。 アメーバの状態から始まって、爬虫類、魚類、鳥類、そして動物と、ありとあらゆる進化の段階を経て、今ようやく人間へと進化したのです。 P95 愛情は愛情を呼び、憎しみは憎しみを呼ぶというのが原則ですが、進化の程度が低いほど反応も少なくなります。 あなたの心に怒りの念があるということは、それはあなたの人間的程度の一つの指標であり、進歩が足りないこと、まだまだ未熟だということを意味しているわけです。 あなたの心から怒りや悪意、憎しみ、激怒、ねたみ、そねみ等の念が消えた時、あなたは霊的進化の大道を進んでいることになります。 P100 人間が進化すればするほど、地上から残忍性と野蛮性が消えていきます。 愛と慈しみと寛容の精神が地上にみなぎった時、動物の残忍性も消えて、それこそライオンと子羊が仲良く寄り添うようになります。 問「しかし動物の残忍性も動物としての発達の表れではないでしょうか?」 あなたもかつては動物だったのですよ。 それがここまで進化してきた。 だからこそ太古に比べれば、動物界でもずいぶん残忍性が減ってきているのです。 トカゲ類で絶滅したのもいます。 なぜ絶滅したと思いますか? 人間が進化したからです。 進化の一番の指標が、残忍性に出るのです。 P190 牧師からの問「地上の人間にとって完璧な生活を送ることは可能でしょうか? すべての人間を愛することは可能なのでしょうか?」 それは不可能なことです。 が、そう努力することはできます。 努力することそのことが性格の形成に役立つのです。 怒ることもなく、つらく当たることもなく、腹を立てることもないようでは、もはや人間ではないことになります。 人間は霊的に成長することを目的としてこの世に生まれてくるのです。 完全であるように努力することは、地上生活で目指すべき、最高の理想なのです。 P193 イエス自身、完全な生活を送ったと思いますか? イエスは絶対に腹を立てなかったか?と聞いているのです。 (ここで他の参加者の一人が割って入って、「イエスが両替商人を教会堂から追い出した時の話を持ち出した) 私が言いたかったことはそのことです。 あの時イエスは教会堂という神聖な場所を汚す者どもに腹を立てたのです。 ムチをもって追い払ったのです。 それは怒りそのものでした。 それが良いとか悪いとかとは別の問題です。 イエスは怒ったのです。 怒るということは人間的感情です。 私が言いたいのは、イエスも人間的感情を備えていたということです。 イエスを人間の模範としてあおぐ時、イエスもまた、一個の人間であった ― ただ普通の人間よりも神の心をより多く体現した人だった、という風に考えることが大切です。 +++++++++++++++++++++++++++++ 続きまして、モーゼスの霊訓(上)から、なるたけ元の文章やニュアンスを壊さないよう、内容を抜粋させていただきます。 二節の善と悪との闘いに関するモーゼスの問いへの、インペレーターの答えの部分から、です。 大きな戦争が起きると、「機が熟さない」うちに肉体から離れた戦死者の霊が大挙して霊界に送り込まれます。 彼らはまだ霊界に戻る準備ができておらず(ちなみに睡眠中も少しずつその準備をしているそうです)、しかも死ぬ直前は「憤怒に燃え、血に飢え、邪念に包まれ」たまま、霊界に行きます。 死(肉体から離れる)の準備ができていないうちに、急激に肉体から霊が引き離されることはとても危険なこと(シルバーバーチも警告しています)。 そしてインペレーター霊は「死後の存続や進化についての無知が、まるで未開人同様に野蛮で愚かな行為へと人間たちをかきたてている」と語気を強めながら言っています。 それはそのことが、「未熟な霊を怨念に燃えさせたまま肉体から離れさせ、大きな悪行に駆り立てる結果になっているから」だそうです。 たとえば犯罪者の場合、 「人間たちは犯罪者たちを寄せ集め、牢屋に閉じ込め、意地悪く、残酷に、そして愚か極まる方法にて処罰をする。 そのような扱いを受けた者は社会復帰したのちも再び罪を犯す。 そして最後には死刑となる。 心が汚れ果て、堕落しきり、肉欲のみの、しかも無知な犯罪者たちは、死刑の瞬間、怒りと憎悪と復讐心に燃えて霊界に来る。 が、それまでは肉体という足かせがあったが、今やその足かせから放たれた彼らは、燃えさかる悪魔のような邪念に駆られて、地上で暴れまくるのである。 こうして傷つけられた霊が、霊界から復讐にやってくる。」 戦争や大量虐殺に至っては、なおさら恐ろしいとインペレーター霊は言っています。 「怨念と憤怒を抱きつつ肉体より引き裂かれた、血に飢えた、兵隊の霊たちは、残虐と肉欲と罪悪にまみれた人間たちの心をそそのかし、その残虐な野獣性を一層かきたてようとしている。 そして地上にまた悲劇が巡ってくる。 人々の霊性の進歩も遅れてしまう。 人間たち自らが、そうして邪悪のタネを蒔き続けているのだ。」 「人間がその罪深き心と卑しき生活によって同類の邪霊を引き寄せ、その邪性を倍増させるなら、その罪は人間たち自身が背負わなければならない。 邪霊たちは人間の蒔いた種を刈り取っているのに過ぎない。 邪霊をとがめる前に、まず人間自身が自分たちの過ちを自覚しなければならない。 人間たちの中でも、アルコールと肉欲にまみれている集団は、より進化の道から外れ堕落してしまっている。 "彼らは快感に浸りて己を忘れ、汚れたる肉体の官能を飽きることなく刺激し、堕落者、不道徳者と関わり、挙句の果てには肉体の快楽を求めてうろつきまわる邪霊や悪霊の餌食になってしまう。 そしてその様子は、さすがの高級霊にとっても大変恐ろしいものである"」 こうして地上で地縛霊となった邪霊たちは、肉体(感覚器官)がないので直接感じることはありません。 ですが、地上時代の肉体的欲望と、性向などの、欲求だけは残しています。 なので、人間だった時にお酒や性的快楽におぼれていた霊たちは、いまだにそれらが忘れられません。 それどころか、なお一層強くそれらを求めます。 それは、肉体がないせいで、人間界でどれほどそういう行為に浸ろうとしても満足を得ることができないため、です。 そうしてどんどん満たされない不満が募り、なおさら欲望の炎が燃えたぎります。 そんな霊たちは、人間時代に慣れ親しんだ酒場など「悪の巣窟」へと引きつけられ、そこで快楽にひたる人間たちに取り憑き、その人間をますます堕落させようとします。 地縛霊(邪霊)たちは、自分たちが取り憑いた人間が欲望に溺れ、堕落してゆく様子を見て喜びます。 このように、地縛霊(邪霊)たちは似たような考え方や価値観をもつ人間を見つけては取り憑いて、悪の道に走らせようとします(自分たちのいる地獄のような世界に引きずり込もうとします) 地上生活の平和や進化を妨害し、何も知らない人間たちがそれに振り回され苦しんでいる様子を見ては「ざまあみろ」とばかり、喜んでいるのです。 これらの悪循環を断つには、人々の道徳的意識が高まり、物質社会が向上していくのを待つしか、しかたがないのだそうです。 そしてそれにはさらに高等な、真実の、霊的知識の普及と教育が必須と、インペレーター霊が言っています。 たくさんの邪霊たちが、似たような心を持つ人間たちをそそのかして、獣性(邪心)暴力を煽って、地上の平和を乱そうとしているようです。 それを防ぐには、人に対してだけでなく、自分自身に対しても冷静で客観的な目を持つことが必要と思います。 |